第4回 子どもの眠り研究会参加記

 昨夜のサッカーWorld Cup決勝トーナメント日本対パラグアイ! 興奮で余韻に浸りながらこの記事を書いています。30分の延長でも勝負が決まらず勝負はPK戦へ。PKとは何と切ない決着のつけ方なのでしょう。息をのむ最後の瞬間、私はすっかり岡田JAPANのメンバーの一員になって選手やスタッフと一緒に肩を組み、汗と涙を流していました。おそらく大会前には結果が出ず非難や中傷が怒涛のように押し寄せたと思うのですが、本番で自分たちの持てるものを出しチームとして機能し、ものすごい感動を私に与えてくれました。私ももともとは体育会系の人間なので、今でも血がたぎります(衰えて体は動かないので、かえってちょっと厄介ですが)。彼らを見習って、結果がでないときも思うようにいかない時も腐らずに努力工夫し、自分がやりたいことで誰かの力になりたいと思いました。(というのは本題とは関係ないのですが、もらったエネルギーを使ってこの文章を一気に書こうとしています。)

 さて、今年の子どもの眠り研究会は日本小児神経学会のイブニングセミナーとして2010年5月22日に開催されました。今年が4回目になります。今回は全部で8題の演題発表がありました(診断技法に関する3題、症例報告2題、治療的介入1題、疫学調査1題、Asia Pacific Pediatric Sleep Allianceの活動報告1題)。また、これとは別に、学会総会第3日目には「睡眠・生体リズム」のセッションがあり(疫学調査5題、症例報告1題。昨年は独立したセッションはなかった)、その他にも関連したポスター発表が数題あって、睡眠関連の演題数としては昨年の学会に比べ少し増加しているようでした。
 私は昨年初めて研究会に参加し、今年は自分でcase reportを発表しました。学会には参加しておきたい、手ぶらでは格好が悪いので発表する、やっぱり傷つきたくないので恥をかかない程度の発表をしておきたい、できることなら何か役立つ意見をもらって帰ってきたい、ついでに「自分も一応睡眠やってるよ」とささやかに示してくる、というようなことが目標だったので、そんな「なんちゃって発表者」として参加した私が自分の印象をまとめて読んでもらうことに対して、なんとなく居ずまいの悪さを感じます。
 自分の発表が終わるまでは「どうか、自分の発表が辛辣に批判されたりバッサリ切って捨てられることがありませんように」という気持ちが強かったので、座長の先生から「活発なご討議を!」というような言葉が発せられるたびにビクッとしていました。でも、終わってしまった今、弱気モードから強気モードに切り替わってやや大げさに言ってしまうと、「今回の研究会にはあまり活気がなかった」と感じます。会場に熱気を感じなかったのは自分が緊張していたことだけが理由ではないと思います。そしてもうひとつ、疫学研究が多かったことも印象的でした。医学、脳神経学、小児科学という切り口で臨床の疾患報告、臨床研究、疾患の原因や治療を検討して意見を交えるというような、小児神経学会の本来持っている姿と比べるとやや醍醐味に欠けた感がありました。ついでに言うと、私自身の発表も、恥をかかないために睡眠時間を削って!努力した割に、あまりよい発表ができなかったという思いが残りました。

 ヒトにとって睡眠が大切であるのはもちろんですが、成長期にある子どもにとっては「今をより良く生きるため」だけでなく「将来より良く生きるため」にも睡眠が重要であると言えそうです。したがって、小児医療にたずさわる人が子どもたちと関わるときに睡眠を意識することは大切であり、小児科医の中でも神経発達に関心のある医師が集まるこの学会に睡眠の研究会が存在していることにはとても大きな意味があると思います。
 しかし、社会のニーズは医師に対して疾患の「治療」だけでなく「予防」や「健康増進」にも目を向けることを求める時代になってきています。しかも「個人」を対象とするだけでなく「集団」にも気を配る立場に立たなければならない機会が増えています。
 睡眠もまた、睡眠関連疾患という「病的状態」、他の疾患の重症度や予後に影響を及ぼす「リスク要因」、また「疾患予防や健康増進に貢献する要因」という多種多様な形でヒトに関わっていることが明らかになってきています。こうなってくると、対象とする範囲が広範すぎて、専門医をめざそうという人以外は、広い知識を持つことや突っ込んだ診療を行うことがなかなか大変になってきているように思えます。
 このような状況が背景にあるためか、今回、子どもの眠り研究会も小児神経学会の睡眠セッションも、エントリーされた発表演題の内容は非常に多岐にわたっていました。参加者、発表者の関心が分かれることは当然のことと思いますが、それでも研究会やセッションが成立するためには、参加者が最低限の知識、技術、コンセプトのようなものを共有することが必要かと思います。ところがこの日は「睡眠医学としての基本土台」を持っている参加者の方が決して多くなかったのではないか、そしてそのことが、すべて(あるいは多く)の参加者がすべて(あるいは多く)の演題の討議に参加することの難しさ、ひいては活気のなさにつながっていたのではないかということを思いました。(どういうことが土台に当たるのかについては様々な意見があるかもしれませんが。)この土台を提示し普及させ、全体としての土台をつくっていくことが学会や研究会の役割のひとつであり、またそのように導いていくことによって学会や研究会がさらに充実すると想像します。
 というようなことはたぶん、ずっとやって来られた方々は当然わかっておられ、実際にやってこられていて、今回私が(参加記をまとめながら)わかってきたということのなのだと思います。(つまり私のようなお惚け者が理解し実践していけばもっと変わるということです。)
 研究会の最後に神山先生が「来年はもっと、ニューロンを意識したディスカッションをしたいですね」と話されたのが、そのときは重苦しく絞り出すように話されている印象ばかりが記憶に残ったのですが、後から考えてみるとそういうことを再度伝えたかったに違いないと思えてきます。(神山先生がまとめられた「小児科診療ピクシス 睡眠関連病態」も共通土台をつくる上で役に立つ本だと思います。)
 自分が「あまりよい発表ができなかった」と感じたのも、自分が重要だと感じたことや伝えたいと思ったことが、聞いている人にきちんと伝わったと感じられなかったからだということに気付き、これも共通土台がないことと関連しているかもしれないと思いました。自分が伝えたいことが会場できちんと伝わったうえで反響があれば、それがたとえ厳しい反響であったとしても、自分としては充実感を持つことができたのではないか、と今は思うのです。実際、準備をする過程で「自分は睡眠診療の基本(共通土台)を踏まえて症例を提示することができているのだろうか」という不安な気持ちを私はずっと抱えていました。ですので、今回のことを振り返る中で、睡眠医療としての土台をまず自分自身がきちんと身につけようと改めて思いました。

 ということで(どういうこと?)、私自身は睡眠医療の基本をきちんと身につけることの重要さに思いを新たにしました。(とくに、睡眠をできるだけ科学的な視点を持って評価できるようになることを意識するようになりました。)ただし、これまでは患者さんに対して直接より良い診療ができると考えてのことでしたが、それだけではなく、同じ基本を身につける人が増えて共通の土台ができると、話がつながり活気が出て医療も発展することに今回気づきました。基本が身につけば、次回はもう少しまともなcase studyやcase seriesの発表ができるのでは、と少々自分に甘い想像もしています。


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